3月19日 クロから学んだこと

今日はクロ(飼い犬)の命日です。“ペットロス”という言葉がありますが、私も4ヶ月経ってようやく、涙をこぼさずにクロの話ができるようになりました。

保健所にいたクロが我が家の家族の一員になった日のことから、前向きに生ききった日のことまでを振り返りたいと思います。

2010年頃から、地域の婦人会の人から「地域の野良猫のことで困っている」と相談を受けました。具体的には、「猫が次々と仔猫を産んで自宅への被害も出てきて、どうすればいいか」という相談内容です。早速、地元の動物病院の先生に相談しました。先生の理解と協力を得て、格安の値段で野良猫の避妊・去勢手術をしていただけることになりました。さらに、その他にもさまざまな心配事があり、『関西動物友の会』で活躍している友人に相談。親身に相談に乗っていただいた上、当会より避妊・去勢の助成金までいただけることになりました
(余談ですが、私は市民の要望を訴え続け、結果、昨年10月より野良猫の避妊・去勢手術に対しての市の助成制度がスタートしました)。

一方で、その友人より「四條畷保健所に4ヶ月間も譲渡犬としてホームページに載っているワンコがいる。できれば見に行ってほしい」と言われました。すぐに保健所に行きました。
職員が黒柴っぽい元気なワンコを連れてきました。クロとの初の対面でした。
クロを引き取ることに家族は大賛成!さまざまな手続きの後、クロは2012年2月、我が家に引き取られてきました。
男の子ですが、夏になれば特に雷が嫌いで、クロの甘えん坊と恐がりにはヘトヘトになりました。明け方まで雷が鳴り続いた時は、主人と交代でクロのそばにいたり、雷が恐くて玄関にオシッコをして暴れたり、当時は紐をつけていたので、噛み切ったりしたこともしばしばです。しかしこれまで、推定5歳のクロがいろんなつらい経験をした果てに、慣れない我が家に来たことを思うとかわいそうで胸がいっぱいになりました。
主人は朝晩何回もクロを散歩に連れて行きました。クロは外がとても大好きで、散歩好きなワンコだったのです。地域の中でも子どものみならず大人の皆さんに本当にかわいがってもらいました。クロを連れて旅行に行ったり、一緒にいろいろなコースの散歩をしたりと、クロの思い出を語ればきりがありません。

昨年から急にクロの足腰が悪くなり、白内障になったり、耳も聞こえづらくなったりと、人間の高齢化と同じように歳をとっていきました。物にぶつかったり、一生懸命立とうとして滑って脚をすりむいたり、でも、クロは声を出して鳴くことはなく、ただひたすらいつも前向きにめげずにがんばっていました。
クロは目が大きくて、私が帰宅して「クロ、ただいま」と言うと、いつも目を見て「おかえり」と言ってくれているようでした。

クロはさらに弱っていきました。そのころ、私は自身の病気が発覚し、入院・手術をしました。(詳細は3月5日3月6日の【みうら美代子の備忘録】をお読みください)。
私が留守の間、主人は早朝クロの世話をして出勤。帰宅してからは、クロの世話はもちろん、掃除などで大変だったと思います。私がいない間、クロは自身の老化に伴う不安と戦い、必ず帰ってくる家人を待ってくれていました。しかし、私の手術(心臓の弁置換手術)が成功し無事に退院してきた頃のクロはもはや限界で、おむつの生活になっていました。
私は退院しても開胸手術をしたため8キロのクロを抱っこしておむつ替えもできませんでしたが、主人のお姉さんに助けていただきながらクロの世話をしました。私も不自由、クロも介護状態。お互い思うようにならない日々でしたが、いつもクロと励ましあいながら、「私もがんばるね。クロもがんばってね」と声をかけていました。

11月18日、いつもより遅い12時ころまでクロの体をさすってやっていました。クロは息が少ししんどそうです。私のほうをずっと見ています。何か言いたそうにも見えました。でも、クロは絶対に死ぬわけがない、まだまだがんばると思っていました。
翌19日の朝5時、主人に起こされました。「クロが息をしていない」と。
私がクロの寝床に行ったときは、クロはもう冷たくなっていました。明け方までさすってあげたらよかった、ひとりぼっちで死なせて本当にごめんとクロに何度も謝りました。

 

クロは最後まで生ききった、本当に強くて前向きなワンコでした。

私たち家族は多くのことをクロから学びました。
クロが亡くなって4ヶ月。
最後の最後まで生きようとしたクロ。
これからは生涯私の心のなかに良い思い出として生きていると思います。

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2018.7.24

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