3月5日 みうら美代子の備忘録①

今日と明日は、昨年私が経験した“大動脈弁置換手術”について書こうと思います。

 

息ができない!病院へ搬送

昨年7月31日の夕方、用事を済ませ、JR忍ヶ丘駅に向かって5分ほどの距離を急ぎ足で歩いていた私は、うまく息が整わないまま駅前でしゃがみ込むように倒れてしまいました。
女性の声で「大丈夫ですか?」と聞こえて気がつくと、周りに数人の人と四條畷消防の救急隊員が私の顔をのぞき込んでいました。私は意識を失って路上で倒れていたのです。意識はしっかり戻りましたが体には力が入らず、結局、近くの畷生会脳外科病院へ搬送されました。

 

心臓大動脈弁狭窄症

脳や血管・血液などに異常はなく、その日は一旦入院。翌日に心臓のエコー検査をした結果、循環器の専門医より「心臓大動脈弁狭窄症に間違いありません。しかも、重症です」と告げられました。
それまで、毎年の人間ドッグでの心電図は異常なく、交野マラソンでは3キロコースを何度も走っており、とにかく専門医の言われたことに実感がわかないままでした。

 

仕事と命、どちらが大事か

重度の心臓大動脈弁狭窄症とわかってからも実感がわかなかったこと、参議院選挙直後ということもあり、石川議員をお連れして外部企業へお礼に伺ったり、市民相談、地域行事に参加したりと、慌ただしい毎日を過ごしていました。
そうこうしているうちに、8月16日に紹介状を持って吹田にある国立循環器病研究センターへ。医師からは、すぐにでも入院するように言われました。それでもまだ病状を甘くみていた私は、自身の仕事のことを伝え、9月議会が終わってからの10月に入院したいと呑気にかまえていました。すると「仕事と命とどちらが大事か」と言われ、重症と思っていない私を説得するために再検査をしてくださいました。
どれだけ重症だったかというと、大動脈弁は、健康な人は3平方センチほどあり、それが閉じたり開いたりしているが、当時の私の弁は、0.4平方センチしか開閉していないとのこと。また、弁そのものの形が判別できないほど石灰化していました。
つまり、体中に新鮮な血液を送る最後の弁が固く狭くなり、高い圧力が血管にかかってすごいスピードで血が送られている状態だったのです。突然死の可能性もあると言われ、ようやく、かなり厳しい状態であるということを理解しました。

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